「天井桟敷館と並木橋」

まだ東京に都電が走っていた頃、渋谷の一つ
手前に並木橋と言う停留所があった。
JRAの、いや日本中央競馬会の場外馬券場が
あり、そのすぐそばにド派手な彩の天井桟敷館
というアングラ劇場があった。
桟敷館主は競馬を市民レベルに押し上げるの
に大いに貢献した寺山修司だった。
彼は競馬中継にも度々登場し、東北弁でトツ
トツとしゃべる語り口は、実際に競馬場で馬
券を買っているオジサンたちからも絶大な支
持を得ていた。

又、耳に赤鉛筆をさしているオジサンたちが
手にしているスポーツ紙には〝スシ屋のマサ″
や〝トルコのモモちゃん″がそれぞれの思い
いれを込めてレースを予想をしている。
それが妙に現実味があったものだ。
そしてそのコラムと相まって、地方競馬出身
の❝ハイセイコー❞の登場で競馬ブームに火が
付いた。

学生時代小生もその渦中にいたわけだが、心
は馬産地の日高に飛んでいた。
そしてその後、小生にとって競走馬生産地が
生活の場に代わって行った。

粟津潔デザインによる天井桟敷館

生産地では、一見馬たちはのんびりしているようにみえるが、事故や病気など、生と死がいつも隣合わせに混在している。

その中には繁殖牝馬が出産の事故などで助からず、母親を失ってしまった子馬に遭遇することがたびたびある。

そんな時、あの華やかだった天井桟敷館の主だった寺山修二が作詞、カルメン・マキが歌う ❝時には母のない子のように❞ のフレーズを思い出すことがしばしばあった。

そしてその後の子馬には、二つの運命が待っている。
一つは、重種馬の乳母をつけるか、
もう一つは、人の手によるミルクで育てるかの選択である。

両者には一長一短があり、前者は人の手はかからないが、子馬が乳母の豊富な乳を飲み、急激に大きくなり過ぎ、骨端炎と言うヒトの子供の成長痛にも似た病気になる可能性があるリスク。

後者は授乳回数が多く、人が大変なのと、妙に人になつき過ぎ、競走馬としての闘志を無くしてしまう、と語り伝えられているリスクがある。
そのどちらかを選択するかは、牧場の状況によってマチマチである。

日本ダービー馬 ❝スペシャルウィーク❞ は前者の選択だったようである。華やかな競馬の舞台裏では、こうした事がしばしば繰り返されている。

     場外馬券場とカルメン・マキ、、、、

ときには、母のない子のように、黙って海を見つめていたい
そんな子馬を見ながら、ふと呟いてしまいました。

至福の時